SNSの投稿に対して批判コメントを付ける人は文章読解力に問題があることが殆どであるという人がいます。
私も殆どとまでは言いませんが、旧Twitterで、Tweetできる文字数が140文字ではなくなった時に、1,000文字程度のTweetをすると、「長くて読めない」「長いと読む気がしない」など、個人の読む力の問題を、クレームのように言われたことがよくあり、文章読解力の問題は多く存在すると思っています。

X(旧Twitter)や他SNSで、我々の活動や投稿に対して散見される批判、様々な関係の方々から寄せられるSNSでの投稿に対する、コメントやDMなどでの批判・誹謗中傷に関する相談を聞いていると、批判をしている人には、識字率や、一般的な文章読解力以前の「人間性」や「性格的な問題」があるように思えます。

例えば、美味しいお寿司屋さんに行った人が

「あそこの寿司屋マジでバカうめえ。」

とSNSに投稿したとします。

勿論これは、そのお寿司屋さんやその商品クオリティについて好意的な文章ですが、文章読解力以前の問題がある人には、この時点でそれが何故好意的な文章になるのかがわからないのです。

文章を読めない人の行動パターンの多くは、文中の一部を切り取って、自分の中の思い込みや自分の都合と組み合わせ、全く違う新しい文章を作り上げる作業をしています。

このお寿司屋さんの文章の場合、普通に読めばいいだけのところを、「バカ」という部分をわざわざ切り取るという不要な作業をして、「この人を批判したい」「マウントを取りたい」「この人を落として自分が相対的に上がりたい」など「自分の性格上の歪み」と組み合わせる作業までしてしまいます。

そしてその結果として完成するコメントが「お寿司屋さんに対してバカとはなんだ。」「寿司に対する冒涜だ。」「寿司屋に失礼だ。」「和食に対する差別だ。」「寿司という伝統ある料理にバカという言葉を使うのは適切ではない。」「そもそも寿司というのはお前のような…云々(寿司のうんちく)」というようなものになります。もはや全く関係のない話になっていますよね。

「そうそう!いるいる!そういう奴!」と思った人も少なくないと思います。

文章は全体で一つのことを表現しているにも関わらず、一部を切り取ってしまったり、関係ないことと組み合わせてしまうことで、「元々の文章にはない、全く違う話題」に変わってしまい、本来の文章は完全に置いていかれてしまいます。
そして、元の文章を書いた人は、他人が勝手に作り出した、全く自分とは関係のない文章について批判を受けるという構図になります。

ストローマン論法のようにして意図的にこれを行っている人もいますが、そういう人は論外として、それを素で行ってしまっている人が、何かの文章を読んで、批判をしたくなった時、その前に一度考えるといいことがあります。

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文章には意図があります。「文章を読む」というのは、「その意図を理解する作業」です。
なので、文中の一部を切り取ってしまうと、その時点で文章自体の意味がなくなります。
また、切り取った部分に持論を付け加えてしまうと、全くの別物を作ることになります。
だから切り取ってはいけないのです。だから持論を付け加えてはいけないのです。
それが文章の読み方というものです。
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文章の読み方の基本を学び、誰もが無意味に他人を批判したりしない世の中になってほしいと願っています。