普段私は同じような事を少しずつ言い方を変えるなどしてあえて何度も言っています。
「おっさんだから同じ話を何度もする」とか「酔っ払って何度も同じ話する」とか、そういうのは別途ありますが、それとは別に意識的にやっていることです。

例えば、キャンプ場や野営地のゴミのポイ捨て問題や焚き逃げ問題。
私はこれを何年もの間、世の中に対して繰り返しずっと訴え続けています。

それは何故か。

例えば、会社の部下に対し、仕事をしていく上で大切なことを100回言って聞かせた上司が「もう100回言ったからさすがに大丈夫だろう。」と言い続ける事をやめてしまったとします。
すると、そこを起点として部下の記憶からは大切なことは伝わらないまま薄れていってしまい、ひどい時には「毎回ウザい事を言われなくなった」と喜ばれ、安心されてしまう恐れすらあります。
物事を目的から考えるとするならば、本当に必要なのは「100回言う事」ではなく「理解してもらう事」です。
だから、目的をしっかりと見据えて、理解を得られるまで「101回目からも躊躇なく同じことを言い続けられることが物事を伝える上で大切なことである。」ということになります。
とはいえ、世の中は日々目まぐるしく変わって行くものなので、その時の風向きや時代に合わせて、言う内容、言い回しは工夫しなくてはなりません。ボイスレコーダーのように同じことを言うのもいいですが、工夫も必要ということです。

私はそういった理由で、今でもキャンプ場や野営地のゴミのポイ捨て問題や焚き逃げ問題について言い続けていますし、時代や状況に合わせて伝え方を変えながら、これからも言い続けることをやめないという訳です。

「いやいや同じこと何回も言い続けるなんて逆効果だよ。」という人もいます。

それは「聞き飽きてしまう」という意味の指摘であれば鈍い指摘、そうでなければ鋭い指摘だと思っています。
まず「鈍い指摘」から説明しますが、「聞き飽きている人」は、ざっくり言うと「既に理解できている人」と「そもそも理解する気がない人」の2つに分かれます。
前者に対しては当然何も問題ありません。言い続けても言い続ける事をやめても大丈夫な人です。後者については、言い続けることをやめてしまうと、ゴミのポイ捨てや焚き逃げなどの犯罪行為にNOを突きつけることを、訴える側が諦めた事になってしまいますので、むしろ言い続ける必要があると考えておいた方がいいのです。

そして鋭い指摘について…。

流暢性効果という有名な心理効果があります。
流暢性効果というのは、簡単に言うと、「何度も見聞きして知っているものは、簡単な事に見えたり、自分もできると勘違いしてしまう。」という、相当意識していないと割と誰もが陥る効果のことです。

我々が普段清掃活動などの野営地保全活動をして、その実績をもって啓蒙活動としてSNSなどで「ゴミのポイ捨て撲滅!」「焚き逃げ撲滅!」と訴えているのを何度も見ている人は、流暢性効果により、何の活動もしていなくても自分ができているかのように思ってしまい、できていないのにできて当たり前だと思ってしまったり、できないのに簡単な事だと思ってしまったりする時があります。
そうなると、自分ができている気になって他人を攻撃しはじめてしまったり、時には実際にやっていて、できている我々に対しても、できる気になって上から目線で的外れなアドバイスを始めてしまったり、活動のあり方、伝え方に対しての批判をしてしまう。という流暢性効果のようなものがしばしば見られます。
なので、この意味での「逆効果」であれば一見一理あるようには見えるので、割と鋭い指摘なのかなと思います。

ただ、実際は、「流暢性効果でちょっとおかしな路線に行ってしまう人」より、ごく普通に賛同してくれて、協力してくれている人が圧倒的多数です。

そして我々はそうしたリスクも見越して活動をしているので、日頃から『大切なのは何を言ったかではなく何をやったかです。』ということもセットであえて繰り返しお伝えしている訳です。
少し気難しい話になりましたが、単純に言うと、キャンプはキャンプをする場所がないとキャンプができません。だからその貴重なキャンプをする場所を汚して閉鎖に追い込んで、自分たちの世代で食いつぶしてしまうのではなく、きれいな形で、自分たちの子どもや孫の世代は勿論、もっと先の未来まで残していきましょう。という事が正しく伝わり、それが続くことを目指しているという事です。

引き続き、ルールを守ることの徹底、キャンプマナーの向上、野営地の保全にご理解とご協力をお願いいたします。