「炭は土には還らない」という話をよくさせていただきますが、決まって反論してくる人が居ます。そもそもなぜそのような事が起こるのかを解説したいと思います。

まず、大事なのは、我々が「炭は土に還らない」と言っているのは、「炭は木で出来ているから放置して帰れば土に還るからいいんだ」という、焚き逃げをする人の一部がする “言い訳” に対して、それは誤った考え方だと指摘するものであって、焚き逃げをしてはいけない沢山ある理由のほんの一部だということです。

「炭は土壌改良になる」「炭は肥料になる」などと言っている人もいますが、土壌改良は定量的、計画的に行うことであり、無計画に炭をばらまいたり、一箇所で何回も焚き逃げをして炭を堆積させることは土壌改良どころか悪化させることにしかなりません。そもそも畑でもないキャンプ場や野営地に土壌改良の必要はありません。炭はただのゴミで、ゴミの放置は不法投棄(犯罪)というだだそれだけのことです。

ではなぜ、「炭は土に還らない」という理論を否定してくる人がいるのか。
そういう人の特徴を見ていくと、原因は以下の4点だと考えられます。

① 経験不足(事実の未把握)
② 自己顕示欲(マウント)
③ 自分が焚き逃げの常習犯(焚き逃げ擁護)
④ 無関係(炎上目的・無差別批判等)

例えば我々は毎週のように野営地の清掃活動をしています。時々、場所を変えて清掃をすると、焚き逃げ後の炭ゴミと共に昔の缶ジュースの缶が発掘されたりするのですが、その缶の蓋は今販売されてる缶ジュースのような、本体と蓋が一体型の物ではなく、蓋を引っ張って外すタイプのものです。正確にはわかりませんが、そのタイプが一般に販売されていたのは35年以上は前になると思います。それが炭と一緒に出土するのですから、少なくとも35年以上前の炭がそこに埋まって形を変えずに残っているということです。30年、40年と経って形を変えないものが私達が生きている間に分解されて土に還る保証や根拠はどこにもありません。
また、10年以上前から焚き逃げの清掃活動をしているような場所であれば、それより前に捨てられた炭ゴミは出ないはずですが、未だにモグラが真っ黒な炭を地上に掘り起こしてくる事があります。つまり少なくとも10年以上前からそこに炭がそのままの形であり続けていると言えるでしょう。これが経験に勝るものはない、確固たる「炭は土に還らない」証拠な訳です。この事実を我々は「土に還らない」と言っています。自分の寿命より長い時間をかけて細かくなって見えなくなることを「土に還る」と呼ぶのであれば、金属でもプラスチックでも何でも土に還ることになり、どこにでも放置していって良いという無茶苦茶な理屈になってしまいます。

「炭は完全に炭化していないので土に還る」という理論の人や、「何百年、何千年と経てば土に帰る」「土に還らないにしても細かくなって土と同化するので問題ない」と言ってくる人がいますが、冷静に考えて、「焚き逃げが良くない」という話題の中で、その理論は必要なのでしょうか。必要だとしたら焚き逃げ(犯罪)を養護する結果になるのが目に見えているにも関わらず、そのリスクを背負ってまであえてこの理論を展開することは誰のためになるのでしょうか。

普通に考えて誰も何も幸せにならない理論です。

もし、強いて誰のためと言うのであれば、主張している人が、主流である「炭は土に還らない」という事実に反論することによって「自分は人とは違う事を言う特別な存在」だとアピールしたいだけに思えます。「実力に見合わない自己顕示欲を満足させるためだけ」という部分ではないでしょうか。

また、「炭は土に還る」「放置していい」という理論を唱える人の話を聞いていると、決して専門家やそれを専門に研究をしてきた人ではなく、誰でもインターネットで軽く検索すれば出てくるような知識を、あまり深いところまで理解せずに、自分に都合のいいように解釈して流布している傾向にあります。
私どものように何年も現場で清掃活動を行い、とんでもない数の事例を実際に見てきた経験に基づいて物を言っている訳ではありませんし、あくまでも言っていることは直感的に思いついた事であったり、ちょっと聞きかじった程度の机上の空論であったり、現実とはかなり乖離のある仮説のようなものに過ぎない訳で、その仮説や空論が現実を超えることはないのです。

時々、「炭は土に帰る」「分解される」「肥料になる」「土壌改良になる」と、キャンプ場や野営地が望まないことを散々主張し、結果的に焚き逃げ推奨してしまうような事を言っておきながら「でも焚き逃げは良くない」と真逆の一言を付け加える人もいます。
これもまさしく「自己顕示欲を満足させるため」が目的である人の特徴的な例であり、実際自分自身が言っていることは焚き逃げを推奨してしまう結果になる事をある程度察していて、そこに不安があるので「焚き逃げは良くないと」付け加えるのです。
あくまでも、自己顕示欲を満たすことを目的としている人の理論なので、基本的には人に凄いと思われたかったり、尊敬されたい訳です。しかし、「焚き逃げ擁護をしている」と思われると嫌われるのは分かっているので、嫌われないように真逆の理論を不自然に付け加えてあべこべになってしまうのです。

大切なのは「何を言ったか」ではなく「何をやったか」です。


我々は、焚き逃げに関して討論をしたい訳ではなく、実際に現地が綺麗になること、焚き逃げがなくなる事だけが目的です。
異論のある人は、つべこべ言わずに、最低10年は焚き逃げの片付けを我々のように徹底的にしてみると良いと思うのです。すぐに「炭は土に還らない」事がわかりますし、それに反論する事の無意味さもわかり、どうでもいい事を誇らしげに言っていた自分が恥ずかしくなると思います。

何事も経験、論より証拠、百聞は一見に如かずです。