日頃、野営地の清掃活動を中心とした保全活動を行っている日本単独野営協会ですが「ポイ捨てや焚き逃げをしている人を見ても、直接注意しない」という方針でやっています。

それにはいくつかの理由があります。

「北風と太陽」という話があります。
これは、ざっくり言うと北風と太陽が旅人の上着をどちらが脱がせることができるかという話なのですが、その中で北風は力任せに風で旅人の上着を吹き飛ばそうとしました。
ただ、結果は吹けば吹くほど旅人は頑なに上着をおさえるばかりで、上着を脱がすことはできませんでした。
当たり前の人の心理や行動として、力で押せば、それと同等かそれ以上の力で反発してくるものです。
直接注意するという事は、相手の意思に反することを指摘したり提案することになるので、反発されるのは必然であり、珍しいことではありません。
よって直接注意することは得策ではないと考えています。

「割れ窓理論」という考え方があります。
廃墟は暴走族が来て窓を割ったり落書きをしたり、最終的には心霊スポットとして君臨するのが定番化していますが、窓が割れているのを見ると、そこは「管理が甘く、窓を割っても大丈夫だ」という心理が働くため、たった一箇所の割れ窓が荒廃をすすめる原因となります。
逆に国有の施設など、廃墟となってもすぐに警備会社などを入れて徹底的に管理するところは、そのようなことは起きません。
国内だけではなく、外国でもこの「割れ窓理論」で犯罪率を低下させたという事例が多数あります。(元々外国の話ですが…)
実績は嘘をつきませんので、野営地でも徹底的にきれいに保つことで、焚き逃げやゴミの不法投棄などがやりづらい環境を作り出すことが可能だと考えています。

また、例えば、私が約2万人以上いる日本単独野営協会の会員さんに「焚き逃げを見たら直接注意しに行きましょう」と言ったり、自分がそのようなマネをして見せたとします。
勿論相手は焚き逃げや不法投棄をするような精神の持ち主なので、ろくでもない人が多く存在します。
そこに注意しに行って本当に大丈夫でしょうか。
安全でしょうか。
相手は全員が話の分かる人ではありませんし、注意しに行く側も全員が高いコミュニケーション能力を有しているわけではありません。
そんな中で私が皆さんに「直接注意しに行きましょう」と言ってしまうのは、2万人以上いる会員の皆さんを危険に晒すような極めて短絡的な判断だと言えます。

中にはコミュニケーション能力に自信があり、注意しに行くのではなく、話し合いやコミュニケーションの中で解決したという事例をいくらか持つ人もいると思います。ただ、それはたまたま相手が分かる人だったというだけで、世の中には言い方や接し方に関係なく、全く話の通じない人も多く存在します。それをコミュニケーション能力という不確かなスキルで解決していけるほど簡単な問題ではありません。

直接注意することを中心に活動するのであれば、そもそも話の分からない人に対しても行わなければならないため、注意したり、コミュニケーションを取ったり、反発されたり、逆恨みされて怪我を負わされたり、車に傷をつけられたり、物を壊されたり、警察を呼んだりという手間が発生するので、リスクが大きく、効率が悪く、活動は先に進まないでしょう。

くだらない話をすると、もし、相手が完全にオラオラしているコワモテのチンピラのような人でも全員が必ず注意しに行くことができるのでしょうか。多分多くの人はそれをしないと思います。
相手より自分が強いか弱いか、相手が怖いか怖くないかというどうでもいい問題ではなく、社会人としてそういう人種とトラブルになること自体がリスクなのです。

昔懐かしのドブ板営業のように、危険を顧みずひとりひとり声をかけて歩くような事を、一体誰がやるのでしょうか、それが本当に焚き逃げやポイ捨てがなくなるまで全国で多くの人が続けられるのでしょうか。そう考えると、直接注意して解決していくというのは、ただの感情であり、とても無意味で無理のある考え方なのです。
そもそも「直接注意すればいいじゃん」と短絡的に、無責任に他人に対して発している人自身が、そういう輩を率先して注意して回って結果を出していないのを見れば色々察するものがあることがわかると思います。

また、日本単独野営協会は自分たちの活動を正義であるとは考えていませんので、他人に対して「正義を振りかざすこと」を禁じています。正義というのは言い換えれば「常識」のようなもので、人の心の中にあり、人それぞれ微妙に違うものを持っています。自分の思う正義を他人に振りかざすと、そこにはギャップがあるため、争いが生じます。
新型コロナウイルスの蔓延により「自粛警察」という言葉が生まれましたが、それも同じく「正義を振りかざす行為」であり、正義を振りかざす行為がエスカレートすると、他人に対する個人攻撃をしたり、名指しで誹謗中傷をしたり、車に傷をつけたり、時には暴力を振るうという犯罪すらも厭わなくなってしまうものです。これは実体験をしたり、ニュースなどを見たりして、多くの人が知っていることだと思います。

では、直接注意せずにどうやって解決させていくのか。

昭和時代の駅のホームは大人がみんなタバコを吸っていたので、煙草の吸殻のポイ捨てだらけでした。
でも令和の今はホームでタバコを吸う人も居なければ、当然ポイ捨てもありません。
昭和でも令和でもポイ捨てをするような精神の人は同じく一定数いるはずなのにです。

これは誰かが注意したからそうなったのでしょうか。
昭和と令和で道徳教育の水準にそんなに大きな変化があったでしょうか。

そうではないんです。

答えは単純に「そういう時代」になったからなのです。

昭和時代はでは多くの人がやっていて、抵抗のなかった駅での煙草のポイ捨ても、時代の変化とともに徐々にやりづらい環境が出来上がってきました。
「昔はポイ捨ては良かったんだけど今は禁止になった」と間違った認識をしている人もいますが、昔は多くの人がやってしまっていただけで、昔からポイ捨てをしていいなんてルールはなかったんです。

例えば今、とてつもない乗降客数の横浜駅の朝のラッシュ時に、自分がホームで堂々とタバコを吸ってポイ捨てした事を想像してみてください。
間違いなく自分ひとりだけが何の言い訳もする余地なく、とんでもない悪人として矢面に立つことになると思います。
だから、どんな悪人でも、リスクを犯してまでそんなバカなことをやろうという発想にはならないんです。

「そういう時代」になり、「そういう環境」さえ整えば、特別な「注意」も「教育」も必要なく、ポイ捨てはできなくなり、自ずとなくなるのです。

そんな理由から、日本単独野営協会では、直接人を注意することは、リスクが高い割には効果が薄く、効果があったとしても一部で一時的なものでしかない事と位置付けて、注意してその場限りの解決をする「対症療法」的な活動ではなく、注意をしないで根本解決する「根治療法」的活動をしているのです。

自分たちの力で世の中の流れを変え、新しい時代を作るのは1人、2人の力では到底できません。
だから、日本単独野営協会は会員数に拘るのです。
日本単独野営協会の方針や理念を理解している人が増え、キャンプ業界に幅広く浸透すれば、自然に全国の野営地から焚き逃げやゴミのポイ捨てがなくなることになります。
ただ、世の中を変えることはそう簡単ではないので、そうなるまでに最低限会員数10万人は必要です。

今まで、「いつまで経っても世の中なんて変わらないよ」と、方々から何度となく言われてきましたが、やろうともせずに思考を停止した人からは新しい発想や手段が生まれません。
日本単独野営協会はそれを本気で実現するために活動しているので、実現するに十分な、沢山の具体的手段を持っています。

実際に活動をしたことがなかったり、活動経験の浅い人が「なってないじゃん」「できてないじゃん」と言ってくることもありますが、それはやったことがなかったり、やりづづけたことがない人の発想です。やり続けてみればそんなすぐに簡単にできることではないということは分かるのです。

ただ、確実に世の中を少しずつ変えて行っている実績はあります。例えば、「焚き逃げ」という言葉。この言葉を知っている人は焚き火跡を片付けずに帰ることが良くないことだと知っています。
「焚き逃げ」という言葉は、一般的な言葉にすることで、効率的に、幅広く焚き火後の放置は悪いこと、ダサいことだと世に伝えるために日本単独野営協会が作った言葉です。
多くの人が知らずに使っている「焚き逃げ」という言葉にはそういう仕掛けがあり、今やテレビやラジオ、新聞雑誌などでも当たり前のように使われ、世の中が変わる仕掛けは既に計画通りに動いて実績を上げています。

だから、会員さん個々に、リスクを犯してまで人を直接注意したり、悪人に無理な教育をしたり、説得したりする必要は全くないんです。

日本単独野営協会は計画的に、具体的手段と行動をもって、少しずつ、ただ、確実に世の中の流れを変えていっています。
これからも、活動を続け、必ず全国の野営地から、焚き逃げやゴミのポイ捨てが今の駅のホームと同等水準まで綺麗になくなる世の中を作っていきます。